アンティーク家具を好きな方なら、一度は耳にしたことがある名前かもしれません。
トーマス・チッペンデール。
(Thomas Chippendale、1718年6月5日 – 1779年11月13日)
家具の様式名として。
あるいは椅子やテーブルの説明として。
250年以上前の家具職人でありながら、その名前は今も世界中で使われています。
なぜ一人の家具職人の名前が、これほど長く残り続けているのでしょうか。
チッペンデールは何を作った人なのか
トーマス・チッペンデールは18世紀イギリスを代表する家具職人です。
シノワズリ。
ロココ。
ゴシック。
様々な様式を取り入れた家具は高い評価を受け、現在でも「チッペンデール様式」として知られています。
また、1754年に出版された
『The Gentleman and Cabinet-Maker's Director』
は家具史上もっとも有名な図案集のひとつです。
そのためチッペンデールは、
「家具のカタログを作った人」
として紹介されることも少なくありません。
しかし、それだけなら彼ほど長く名前が残った理由にはなりません。
当時にも優れた職人は数多く存在していたからです。
家具を「出版」した男
18世紀の家具は、基本的に職人へ注文して作るものでした。
工房へ行く。
相談する。
図面を描く。
そして製作する。
そんな時代です。
ところがチッペンデールは違いました。
本を開く。
デザインを選ぶ。
注文する。
彼は家具を「出版」したのです。
もちろん図案集そのものは彼の発明ではありません。
建築や庭園、工芸の世界にはすでに見本帳が存在していました。
しかし家具業界でこれほど大規模に図案をまとめ、広く流通させた人物はほとんどいませんでした。
ロンドンだけではありません。
地方の職人も。
海外の職人も。
チッペンデールの本を手に取ることができました。
家具は工房の中だけのものではなくなったのです。

チッペンデールの正体
ここでひとつ疑問が生まれます。
なぜ彼だけが歴史に名を残したのでしょうか。
実はチッペンデールは発明家ではありませんでした。
シノワズリも彼の発明ではない。
ロココも彼の発明ではない。
ゴシックも彼の発明ではない。
では何をしたのでしょうか。
彼は時代の流れを誰よりも敏感に読み取っていました。
人々が何を美しいと感じているのか。
何に憧れているのか。
どんな家具を求めているのか。
それらを集め。
整理し。
磨き上げ。
ひとつの世界観として世の中へ発信したのです。
言うなれば、イノベーターではなくトレンドセッター。
あるいは現代でいうアートディレクターやクリエイティブディレクターに近い存在だったのかもしれません。

チッペンデールはブランドを作った
さらに興味深いのはここです。
当時の家具職人にとって図面は財産でした。
技術は秘密であり、簡単に公開するものではありません。
しかしチッペンデールは大量の図案を本として世に送り出しました。
当然、他の職人もそれを目にします。
真似もされたでしょう。
それでも彼は出版を続けました。
なぜでしょうか。
彼が売ろうとしていたのは家具だけではなかったからです。
チッペンデールという名前そのものを広めようとしていたのです。
現代ではブランドの名前で物を選ぶことは珍しくありません。
Hermès。
CHANEL。
Louis Vuitton。
その名前を聞くだけで、多くの人が品質やデザインを思い浮かべるでしょう。
しかし18世紀の家具業界には、まだその発想はほとんどありませんでした。
チッペンデールは家具を作っただけではありません。
自分の名前を価値へと変えたのです。
なぜ私たちはチッペンデールを知っているのか
現在でも私たちは
チッペンデールチェア。
チッペンデール様式。
という言葉を普通に使います。
しかし考えてみると不思議です。
18世紀には数え切れないほどの家具職人がいました。
それでも私たちは、その多くの名前を知りません。
残ったのはチッペンデールです。
優れた家具を作ったから。
それも理由のひとつでしょう。
しかし、それだけではありません。
彼は時代の流行を読み取り。
職人たちをまとめ。
世界観を作り上げ。
そして自らの名前をブランドへと育て上げました。
もし現代に生まれていたなら、家具職人ではなくアートディレクターやクリエイティブディレクターになっていたかもしれません。
だからこそ250年以上経った今も、私たちは彼の名前を知っているのでしょう。
