家具にまつわる歴史(古代から~近代にかけて) — アンティークハウスペルラ コンテンツにスキップ
家具にまつわる歴史(古代から~近代にかけて)
当店で扱うような
1800年代後半から1960年代くらいまでの家具歴史は
今後も小分けにして何度も扱ってまいりますが、
それ以前ってどんな感じだったのか気になりますよね。

私と同じように疑問に感じている方のために少し調べてみました。

今回も忘備録として殴り書きのような感じになっておりますがご容赦ください。。。

 ご興味がおありの方は是非最後までお付き合いくださいませ。



太古から人類がそれぞれの地域や場所で営む暮らしには、
その生活を助ける道具類として家具の存在がありました。

家具の古代の姿は、人々の日々の生活や営みを助ける道具としてどのようなものがあったのでしょう。


 【エジプト文明】

四大文明のひとつ古代エジプトでの家具は、
主に支配階級で使用されていました。

それらの中、たとえば、玉座などは
繁栄する王朝の権威を誇示し、社会、民衆に、
その威光を知らしめる役割を担っていました。
 
王権の象徴としての玉座には、
人間も動物も含めて霊魂の不滅と、来世への蘇生を表現する
宗教性が色濃く装飾文様に反映されています。

古代エジプト、初期王朝時代や新王国時代、
18王朝のツタンカーメンの王墓などから寝台やチェアなどを含む
様々な家具が発見されています。

家具などに使われた意匠・装飾には
、神への祈りを象徴する意味のものが多く使われています。
 
【メソポタミア文明】

メソポタミア文明に現れるシュメル人は、
エジプト第1王朝の始まる紀元前3100年前後よりさかのぼり、
紀元前4000年にはウルク、ウル、ラガシュなどの
都市国家を築き上げることとなりました。

それらの都市国家に続き
バビロニア、アッシリア、ペルシャの文明がオリエントに盛衰しました。

その源であるシュメル人の文化は
遺跡のレリーフなどに描かれている描写を通して、
使われた家具を伺い知ることができます。
紀元前2800年を過ぎ、東地中海にエーゲ海文明が勃興します。

 【古代ギリシャ・ローマ】
クレタ文明、ミケーネ文明を経て古代ギリシャは、
BC8世紀頃から都市国家群として、東地中海地域に反映を築いていきます。その古代ギリシャでは家具に、機能分化の意識が現れます。

チェアにたとえるとトロノス、クリスモス、クリーネ、
ディフロス、オクラディアスなどが挙げられます。

トロノスは、古代エジプトの玉座の流れを踏まえた高位、
高官や貴人の椅子、クリモスは主に、 女性の椅子とされ、
優美なデザインでまとめ上がられています。

クリーネは食卓に着くときに、
横たわって使用する寝台風の椅子、

ディフロスは四本足の背のないスツール型です。

オクラディアスは四本脚がX型に交差する折りたたみ椅子です。

時代がくだり、紀元前753年に建国の伝説を持つ古代ローマは出現します。

紀元前509年に、共和制のローマとなり、
ギリシャを手本として、古代ローマの家具は定着していきます。

ソリウム、カテドラ、レクタス、ビセリウム、
セラ、クルールスは、ギリシャ時代の家具・椅子の
機能分化を、それぞれ受け継いでいます。

【古代から中世にかけての英国】

紀元前55年にいたり、
当時英国ブリタニアへの進攻があり、
ブリタニアはローマ文化と接点を持つことになります。

それ以前の英国は、イベリア人、ビーカ人、ケルト人などが、
それぞれの時代に渡来して先住していました。

カエサル率いるローマ軍が
ブリタニアに足跡を残したあと、約一世紀を経た頃から、
ブリタニアのローマ支配が5世紀初頭まで続きます。

英国でのローマン・ブリテン時代の多くの遺跡が、
当時のブリタニアの生活を想像させてくれます。

その中でも1961年に発掘された
フィッシュボーン・ローマン・パレス(ウエスト・サセックス州)には、
ローマ時代のヴィラの面影を見ることができます。

当時のブリタニアの上流階級は,
この遺跡のような、ローマ風の家具調度に
囲まれた生活を営んでいたのです。

ブリタニアからローマの撤退(409年)が、
以前から侵略を繰り返していたゲルマン民族の定着をもたらすことになります。

アングロ・サクソンの時代です。

その七王国時代を経て、
同じゲルマン系ノデーン人の襲来と抗争が繰り返されます。
1500年当時のイギリスの総人口は500万人弱であった。
それは今日のロンドンより少なく、
現在のイギリスの総人口の10分の1です。

イギリスは何世紀もの間、
建築や装飾において非常に水準の高い職人技術を
持っていましたが、
これらは教会関係のもので、
世俗的な建築や装飾は発展しなかった。
理由としては豪族同士の勢力争いが行われたため、
領主たちは近隣の敵に対し
いつも警戒していなければならなかったからです。

そこで当時のイギリスの富の象徴としては
豪華な紋章つきの旗や壁飾り、銀製品や金の飾り物、
毛布など用意に持ち運びができるものでした。
エリザベス1世(15581603)の王位継承に伴いイギリスは
国内安定と発展の時期にはいりました。

繁栄が国民全体の物となり、
新しい中産階級として貿易業者や商人が出現し
大きな屋敷に住んでいる人々も特別な身分でも大地主でもなくなった。
家は生活に即してしっかりと安全に建てられ
20世紀の初期まで知られているような、
それぞれの階級の生活スタイルが作られた。

その結果召使や使用人たちが
主人やその家族と一緒に暮らし、
ともに食事をしたりすることもなくなり、
彼らもそれぞれに自分たちの住まいを持つようになり、
イギリスの家具産業にも変革をもたらしていきました。

【中世から近代にかけての英国】

 
英国アンティーク家具は使用される木材の種類が
時代的区分名として用いられるのが一般的です。
 
大別して以下の4種類の木材による時代区分があります。

オークの時代 15001660年代
ウォルナットの時代1660年代~1720年代
マホガニーの時代1720年~1770年代
サテンウッドの時代1770年~1830年代

これらは必ずしも歴代君主の時代区分とは
厳密には一致しませんが、おおむね重なりあっています。
 
エドワード6世、メアリー1世を経て、
エリザベス1世のルネッサンス時代になると、
家具も貴族階層や大地主のみの家財ではなく、
世相の安定と繁栄を礎に、商人や中産階級にも広がり始めます。
その結果、それぞれの生活様式に応じた家具が誕生し始めます。
 
中世の貴族の館マナハウスは、
まずはじめにグレートホールが中心に据えて作られました。
 
そして時代とともに機能分化に応じて
館の規模は拡大されていきました。
エリザベス1世の頃になるとグレートホールの中心に位置した
火を焚く場所が部屋の壁側に移され、
いわゆる暖炉型となり、代わって食卓が部屋の中心を占めます。

それにつれて単に台脚に置かれた長板の食卓が、
固定の足を持つようになりました。

家具装飾も球根形の意匠の脚に、
食卓の強度と安定を図るストレッチャーが備わります。

椅子も腰掛けや長いすから背もたれのある
ダイニングチェアーとなりました。
そして食卓の表面に象嵌などの細工を施したものを
造られるようになりました。
 
家具彫刻にはほかにも浅浮き彫りや挽き物の技法が
用いられるようになります。
家具工作の様々な道具類が発達し、
製作の分業化が進化し、
実用重視から次第に装飾性を持つようになります。
 
今回は以上です。。。。(汗)

 

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