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お茶の歴史とイギリスのティーカップの誕生まで

時間をかけてゆったり過ごすティータイムは、
とても満たされた気持ちにさせてくれます。

人と人をつなぐコミュニケーションツールとしての
役割も大きく、はるか昔からそれぞれの国のスタイルで
文化とともに親しまれてきました。

紅茶の種類や入れ方、飲み方、茶器の種類…
その楽しみ方は際限がありません。

お茶は紀元前2700年頃に中国ですでに
存在していたと言われています。

解毒作用や体の浄化などの効果が期待され、
仏教僧の間で飲まれるようになりました。

日本には8世紀頃仏教とともに伝えられ、
鎌倉時代以降は「茶の湯」など、
武家社会を中心に独特な文化を生み出しています。

お茶が西洋に伝わったのは15世紀後半頃の大航海時代、
それまでのシルクロード貿易より産地から直接仕入れることが
できるようになり、ポルトガルやオランダなどの諸国が
積極的に東洋貿易に乗り出しました。

オランダの東インド会社は1636年にフランス宮廷へ、
続いて1638年にはロシア宮廷へ東洋のお茶を紹介しています。

お茶の歴史とイギリスのティーカップの誕生

紅茶大国というとイギリスを思いますが、
お茶の文化で一番出遅れたのは実はイギリスでした。

その理由は清教徒革命(1641年から1649年に渡って起きた市民革命)。
共和制が敷かれ、宮廷にお茶が伝えられなかったのです。

また、1650年代はアルコール規制もあり、
民間のコーヒーハウス(男性用喫茶店)が流行っていました。

やっとイギリスにお茶が普及し始めたのは
17世紀後半のステュアート朝。

共和制の後1660年にチャールズ2世が即位、
王政が復活し宮廷に華やぎが戻りました。

特に、1662年にチャールズ2世の元に嫁いだ
ポルトガルの王女キャサリンは訪問者に毎日のように紅茶をふるまい、
たちまち貴族たちの羨望になりました。

王女によって紅茶文化が大流行したと言われています。
当時の紅茶はたいへん高級品でしたが、
貿易先進国として繁栄していたポルトガルの王女ならではの贅沢ですね。

東洋貿易ではお茶だけでなく、
もちろん茶道具も伝えられました。

それまでの西洋は磁器を作る技術が乏しかったので
薄くて耐久性の良い茶道具、そして美しいブルーの色は大変魅力的でした。

日本からの輸出記録では、
初めてオランダ向けに公式に磁器を輸出したのが1659年。

おもに肥前(九州北西部の地名で、伊万里、有田、波佐見焼など)の
磁器が毎年約1万前後も輸出されていたと言われています。

カップの形は今のようでなく、
ティーボウルの茶器で飲まれていました。

お茶はあくまで薬として飲まれていたため、
ティーボウルは小さく、受け皿もありませんでした。

同時に輸入され、似たようなお皿を組み合わせ、
現在のようにカップ&ソーサーの組み合わせを作ったのは
西洋人と言われています。

当初はお皿にお茶を移して飲んでいたとのこと、驚きますね。

よって、ヨーロッパ向けにカップ&ソーサーのセットで
輸出が始まったのが1670~90年頃とのこと。

貿易が多かったオランダにあるアムステルダム国立美術館などでは、
当時の茶道具をたくさん見ることができます。

東洋からの磁器の影響を受けて、
ヨーロッパの各地で磁器の技術が発達していきます。

主にドイツのマイセンやフランスのセーブルなどが
挙げられますが、イギリスではまずウェッジウッドが、
1759年に初めて工場を創り、実験を重ね、
当時イギリスでは不可能だった白い陶器の発明し成功させます。

良い磁器を作るには水と良質の土が重要、
スタッフォードシャー県(Staffordshire)にある
ストーク・オン・トレント(Stork-on-Trent)という町は
陶器に最適な土地として現在も大変有名です。

18世紀半ばにはウェッジウッドを始め、
ロイヤル・ドルトン、スポードなどの名門ブランドが
この地で専用の窯を作りはじめました。

そして、産業革命により低コスト・量産化が進み、
英国で流行しはじめたお茶が次第にポピュラーなものとして
親しまれていくようになったのです。

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