英仏アンティーク照明の歴史について — アンティークハウスペルラ コンテンツにスキップ
英仏アンティーク照明の歴史について

先日のブログでアンティーク照明の種類、取り扱い方みたいなものについて少しご説明いたしましたが、

今回は英仏アンティークの歴史について触れておこうと思います。

…っていうとなんかすごい詳しい人みたいな感じになってしまいますが、まだまだ勉強中の私、店長の畑(はた)。

あまり期待せずに私個人の忘備録を覗き見みたいな感じでとらえて頂けると助かります。

それでもマニアックなアンティークに関する知識トリビアみたいなものは結構出てくると思いますので、お好きな方はちょくちょく覗かれて行ってください。

それでは今日のテーマの英仏アンティーク照明について

 

 

英仏アンティーク照明事情について

イギリスのアンティーク照明

ガス照明が一般家庭に普及するようになったのは1870年代ごろといわれています。


それでも居間や玄関ホール、台所に限られていたため19世紀中はローソクやオイルランプは現役の照明器具として使用されました。

オイルランプに革命をもたらしたのはスイス人のアミ・アルガン(1755~1803)で1784年に 彼が発明したアルガンランプで油の効率的な燃焼を促し、火力を高めると同時に煙の出を少なくすることに成功しました。

当初は非常に高価で富裕層のみに広まりました。

同じころ読書用として人気を集めたのが、 アルガンランプの改良型として登場したアストラルランプです。


従来ランプ油は鯨油が主流で次第に品薄となり、ラード油を用いたり、その後にはあぶら菜やケールから採った菜種油が一般的になりました。

そして19世紀後半にエジソンが高抵抗フィラメント電球の開発に成功し現代の照明電球の礎を築き、それ以後世界に電球と電力の販売が広まっていきました。

アンティーク照明

日本のアンティーク照明

一方日本では1912年に米国で学んだ三浦順一により二重コイルフィラメントを開発し、電球の向上に寄与した人物も出現しました。


電灯用のランプがヨーロッパで普及したのは19世紀の終わりになってからですので、アンティークの照明は古くても100年前後ということになります。

アンティークの家具などに比べると歴史は浅いということになります。
イギリス製とフランス製がほとんどで、時代は19世紀後半から20世紀にかけての物が多く存在します。

イギリス製は時代によるスタイルの差はほとんどなく、シェードにはサンドブラストなどで装飾が施されたのが特徴で作家の名前などはありません。

フレンチアンティーク照明

一方フランスは作家名が入っており、アールヌーボーとアールデコのスタイルが見られます。


アールヌーボーとアールデコの作品は価値があります。

アールヌーボーの作品は全体的に曲線的で植物や生物がモチーフされており、作品の中には輪廻転生が表現されたものが多くあります。


ランプシェードは被せガラスやカメオガラスなどの色つきです。

一方アールデコの物は全体的に直線的でアールヌーボーの作品に比べてシンプルでシェードはほとんど無色です。


最大のポイントはサインでガレ、ドームなど有名作家の作品にはサインが入っています。

英国アンティークとフランス・アンティークの独自性があり特色を生かしたデザインがアンティーク照明の面白さでもあります。

シャンデリアについて

シャンデリアといえば、宮殿をはじめ、高級ホテル.レストランや劇場などのゴージャスな場所に欠かせない、小さなガラス片で装飾した照明器具です。

つくられ始めた当時は、鹿の角や青銅製の燭台を天井からつるすスタイルのものだったようです。


代表的な生産地はイタリアのベネチアとチェコのボヘミアです。

ベネチアでガラス製のシャンデリアが登場するのは16世紀に入ってからでした。


ボヘミアでは水晶細工の名工が花瓶を作った余りの水晶片に穴をあけて青銅製の燭台に飾ったのがきっかけで水晶製のシャンデリアが作られました。

その後次第に高価な水晶の変わりに、ガラスが利用されるようになったのです。


ガラスが蝋燭の光を反射して美しく輝くシャンデリアはヨーロッパ中の城貴族の館では必需品隣、中でもカラフルなベネチア製のシャンデリアは王侯貴族の人気を独占しました。

アンティークのシャンデリアは見た目よりも軽いものがあったりしますので、日本のマンションやご家庭でも取り付けられる物も多くあります。
取り付けも簡単でお部屋の雰囲気もがらっと変えてくれます。

エミールガレと日本について

エミール・ガレはロココと結びついた中国趣味、アラビアの七宝、ペルシャの写本装飾、イスラムの唐草模様などから影響を受けましたがその中でも日本美術からは特に強い影響を受けました。

ガレが日本の文物に接した時期は恐らく一般に考えられてるよりもはるかに早いようです。


日本が初参加した1867年のパリ万博に、ガレはすでに日本風のランプを出品しており、その傍らに『日本猫』が姿を見せていました。

この万博は父シャルル・ガレが出展したものだったのですが、すでにこの時期エミール・ガレは父の芸術的協力者として数々の意匠を手がけていました。


日本風のランプはその形態こそ不明だが日本美術から引き写された虎と龍の装飾があるものでした。

日本猫の誕生はそれよりも更に古く、ガレのある書簡文から1860年代半ばに遡ると判明しています。

またこの陶器の猫は1871年のロンドン国際博覧会にも出展されていました。
刻み煙草入れ2点と日本猫2点がこのロンドン博物館のためシャルル・ガレによる手書きの発送品リストに載っています。


このようないきさつを考えると青年エミールガレ自身も早くから日本の陶器、竹細工、漆器、版画などを収集していたが、この1867年のパリ万博がその契機となったことが想定されています。

ガレは1872年以来備前焼の美しい壷を複数所持していたようです。
その中には獅子頭の痰壷があった。ガレは1876年にこれをガラスに置き換えたものを考案しています。

このように少なからずエミール・ガレにも日本の芸術文化が影響を与えたようです。
エミール・ガレ

↑エミール・ガレ

ドーム兄弟の作品について

初期の作品にはエナメル彩色による絵付けが多く、

1910年前後から色ガラスの粉をまぶしつける技法「ヴィトリフィカシオン」を多用して、色彩が複雑に混ざり合う重厚な色調の作品を製造しました。

また工芸デザイナーのルイ・マジョレル(1859-1926)にデザインを依頼した金具を装着したガラス作品もあります。

ドーム兄弟の特徴的な技法としてはアンテルカレール、

ヴィトリフィカシオンなどがあります。

アンテルカレールは、ガラス素地に絵模様を描いて、

さらにガラスをかぶせる技術で模様に奥行きが出ます。

この技法はドーム兄弟が1899年に特許を取得しました。

ヴィトリフィカシオンは粉末状にした色ガラスをまぶして再加熱し、素地になじませるもので、ガラスの肌に多くの色を発色させることができます。

 

↑左2名がドーム兄弟

 

とまあまた長くなりそうなので今回はここまでにしておきます。。。

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