なぜ英国人はマホガニーを求めたのか — アンティークハウスペルラ コンテンツにスキップ
なぜ英国人はマホガニーを求めたのか

前回、ウォールナットの話の最後に、

「次に英国人が選ぶ木は、英国から何千キロも離れた場所にありました」

と書きました。

その木は、大西洋の向こう側にありました。

ジャマイカ。

キューバ。

イスパニョーラ島。

そして、後には中米ホンジュラスへ。

そこに生えていたのが、マホガニーです。

赤褐色の美しい木。

大きな材が取れ、

丈夫で、

加工しやすく、

彫刻にも向いている。

家具材として考えれば、驚くほど優秀な木でした。

では、

なぜ英国人は、わざわざ大西洋を越えてまで、この木を使うようになったのでしょうか。

「優れた木だったから」

そう説明してしまえば簡単です。

しかし、それだけではありません。

英国人がマホガニーを手に入れることができた背景には、

海を越えて広がる交易があり、

植民地があり、

そして、大英帝国の拡大がありました。

英国家具の歴史が、大西洋を越えた瞬間です。


 

英国から何千キロも離れた木

マホガニーは、英国には生えていません。

ヨーロッパの木ですらありません。

マホガニーが自生していたのは、カリブ海の島々や中南米の熱帯地域です。

つまり英国人がマホガニーで家具を作るためには、まず大西洋を越えて木を運んでこなければなりませんでした。

現在なら、海外から木材を輸入すること自体はそれほど不思議には感じません。

しかし、18世紀です。

巨大な木を伐り、

森から運び出し、

港まで運び、

帆船に積み、

大西洋を越え、

英国の港で降ろし、

そこからさらに家具工房まで運ぶ。

それだけの手間をかけてでも、英国人はマホガニーを使いました。

なぜ、そこまでして遠い場所の木を使ったのでしょうか。

その話をするには、まず英国がジャマイカを手に入れたところから始める必要があります。



英国がジャマイカを奪った

1655年。

英国はスペイン領だったジャマイカを占領します。

この島には、後に「マホガニー」と呼ばれることになる木が豊富に生えていました。

現在、一般にキューバン・マホガニーやジャマイカ・マホガニーなどと呼ばれる Swietenia mahagoni です。

もちろん、英国人がジャマイカを手に入れた瞬間から、

「これは家具に使えるぞ」

とマホガニーを大量に持ち帰ったわけではありません。

17世紀後半には英国でマホガニーが使われた例が確認されていますが、まだ家具材の主役と呼べるほどではありませんでした。

当時の英国では、ちょうどウォールナットが新しい家具材として人気を高めていた頃です。

それが18世紀に入ると、状況が変わり始めます。

きっかけになったのは、

家具職人でも、

家具デザイナーでもありません。

英国政府でした。



英国家具史を変えた、家具とは関係のない法律

1721年。

英国議会は、ある法律を成立させます。

Naval Stores Act。

名前の通り、本来は海軍に必要な物資の調達に関係する法律でした。

当時の英国は海洋国家として急速に成長していました。

船を造るには大量の木材が必要です。

さらにタールや麻など、船を維持するための物資も必要になります。

英国政府は、それらを外国に依存するのではなく、自国の植民地から調達しやすくしようと考えました。

そこで、英国領アメリカから入ってくる木材などに対する関税を撤廃します。

目的は、

英国海軍を支えること。

マホガニー家具を流行させることではありません。

ところが、この政策によって思わぬことが起こります。

ジャマイカも英国領です。

つまり、

ジャマイカからやってくるマホガニーも、英国へ持ち込みやすくなった。

家具とはほとんど関係のない政策が、結果として英国の家具産業に大量の新しい木材を送り込むことになったのです。

英国家具史を大きく変えた法律は、

家具のために作られた法律ではありませんでした。



ウォールナットがなくなったから、ではなかった

ここで、よく語られる話があります。

「ウォールナットが不足したため、英国人は代わりにマホガニーを使うようになった」

というものです。

たしかに、18世紀前半には戦争や関税、貿易政策によってヨーロッパ産ウォールナットの流通が影響を受けることがありました。

そのため、この説明には一見説得力があります。

しかし、実際の木材輸入を見ると、それほど単純ではありません。

1720年代以降も、英国にはヨーロッパからウォールナットが輸入され続けています。

さらに北米産ウォールナットまで入ってくるようになります。

つまり、

ウォールナットがなくなったから、仕方なくマホガニーを使った

わけではありません。

英国人には選択肢がありました。

そのうえで、

マホガニーを選んだのです。

では、何がそれほど魅力的だったのでしょうか。



家具職人にとって、あまりにも都合のいい木だった

マホガニーには、家具材として非常に優れた性質があります。

丈夫。

寸法が安定しやすい。

加工しやすい。

磨くと美しい艶が出る。

そして、細かな彫刻にも対応できる。

さらに重要だったのが、

大きな材が取れることです。

ウォールナットの時代、家具職人たちはベニヤを使って美しい木目を家具の表面に配置する技術を発達させました。

これはウォールナットの魅力を最大限に引き出す方法でした。

しかしマホガニーは、巨大な木になります。

幅のある板を取りやすく、大きな天板や家具の部材を一枚の材から作ることができる。

しかも強度があるため、部材を細くすることもできます。

細くても強い。

大きな板も取れる。

曲線も作れる。

彫刻もできる。

そして美しい。

家具職人からすれば、

「こんな木で何を作ろうか」

と考えたくなるような材料だったはずです。



ウォールナットが開いた扉を、さらに先へ

前回の記事で、ウォールナットの時代に英国の家具が変わったことを書きました。

重厚なオーク家具から、

より軽やかな家具へ。

深い彫刻だけではなく、

曲線や木目そのものを楽しむ家具へ。

家具で表現できる「美しい」の種類が増えていきました。

マホガニーは、その流れを否定した木ではありません。

むしろ、

ウォールナットが開いた扉を、さらに先へ進めることのできる木でした。

細い脚。

大きくうねる曲線。

繊細な透かし彫り。

深く立体的な彫刻。

大きな天板。

マホガニーの強さと加工性によって、家具職人ができることはさらに増えていきます。

木が変わったことで、

デザインの可能性まで広がったのです。



そして、チッペンデールの時代へ

18世紀中頃。

英国の家具史に、トーマス・チッペンデールが登場します。

チッペンデールについては以前の記事で詳しく書いたので、ここでは深く触れません。

重要なのは、

彼が活躍した時代と、マホガニーが英国で広く使われるようになった時代が重なっていることです。

1754年。

チッペンデールは『The Gentleman and Cabinet-Maker's Director』を出版します。

そこに掲載された家具を見ると、

曲線、

透かし彫り、

複雑な背もたれ、

大胆な脚、

さまざまな装飾が現れます。

こうした家具を形にするうえで、マホガニーは非常に優れた材料でした。

チッペンデールがマホガニーを発見したわけではありません。

マホガニーがチッペンデールを生んだわけでもありません。

ただ、

新しいデザインを求める時代と、それを形にできる木が出会った。

18世紀英国の家具が大きく発展した背景には、その組み合わせがありました。



最初の主役は、ホンジュラスではなかった

現在、「マホガニー」と聞いて、

ホンジュラス・マホガニーを思い浮かべる人も多いかもしれません。

しかし、18世紀前半の英国で主役だったのは、主にジャマイカから運ばれてきたマホガニーでした。

ジャマイカ産のマホガニーは、

色が濃く、

密度が高く、

磨いたときの艶も美しい。

高級家具材として非常に高く評価されます。

18世紀中頃まで、英国へ入ってくるマホガニーの大部分はジャマイカから来ていました。

ところが、

英国人はあまりにも多くのマホガニーを使いました。

伐採が進み、

アクセスしやすい場所にある良質な木は次第に減っていきます。

そこで、英国の木材商人たちは新しい供給地を求めるようになります。

その一つが、

中米ホンジュラスでした。

18世紀後半になると、ホンジュラス方面からのマホガニーが英国市場で存在感を増していきます。

つまり「マホガニー」と一言で呼んでいても、

時代によって、英国へ入ってきた木の産地は変わっている

のです。

これは古い英国アンティーク家具を見るときにも、とても面白い視点です。



美しい家具の向こう側

ここまで見ると、

英国人がマホガニーを選んだ理由が少しずつ見えてきます。

優れた木だった。

家具職人の技術と相性がよかった。

新しいデザインを可能にした。

そして英国の植民地と海運によって、大西洋を越えて大量に運ぶことができた。

しかし、

この最後の部分には、もう一つ見ておかなければならない歴史があります。

マホガニーが伐採されたカリブ海は、

大西洋奴隷貿易とプランテーション経済の中心地でもありました。

ジャマイカでは、奴隷化されたアフリカ人たちの労働が植民地経済を支えていました。

マホガニーの伐採や運搬にも、その労働力が関わっています。

巨大な木を森の中で伐り、

港まで運び出す。

現在のような重機はありません。

その仕事がどれほど過酷だったのかは、想像に難くありません。

英国の邸宅に置かれた美しいマホガニー家具。

その艶やかな表面だけを見ていると、

そこまでの歴史は見えません。

しかし家具がそこへ届くまでには、

森林があり、

労働があり、

植民地があり、

船があり、

港があり、

木材商がいて、

そして最後に家具職人がいました。

家具は、

家具工房の中だけで生まれたものではないのです。



家具の木を見れば、英国の世界が見える

ここまでオーク、ウォールナット、マホガニーと三つの木を見てきました。

並べてみると、不思議なことに気づきます。

英国人が家具に使う木の産地が、

少しずつ英国から遠くなっているのです。

オーク。

英国の森林にも豊富に存在し、何百年にもわたって暮らしを支えた木。

ウォールナット。

英国国内だけでなく、フランスをはじめとするヨーロッパ大陸との交易の中で使われた木。

そしてマホガニー。

大西洋を越え、

カリブ海や中米から運ばれてきた木。

家具の材料を追いかけているだけなのに、

いつの間にか世界地図が広がっていきます。

これは偶然ではありません。

17世紀から18世紀。

英国そのものが、

世界へと広がっていった時代だからです。

貿易。

植民地。

海軍。

商船。

そして帝国。

英国が世界へ手を伸ばすにつれて、

世界中の物が英国へ集まるようになります。

家具も、その巨大な流れの中にありました。



マホガニーの時代は、永遠ではなかった

18世紀に大量に伐採されたマホガニー。

当然ながら、森の木は無限ではありません。

ジャマイカをはじめとする西インド諸島では良質なマホガニーが次第に減少し、供給地は中米などへ広がっていきました。

そして近代に入っても、

マホガニーは世界中で高級家具材として求め続けられます。

その結果、天然資源としてのマホガニーは大きな圧力を受けることになりました。

現在、真正マホガニーと呼ばれる Swietenia属 の木々は、ワシントン条約(CITES)によって国際取引が規制されています。

かつては大西洋を越えて大量に英国へ運ばれ、

英国家具の黄金時代を支えた木。

それが現在では、

守りながら使わなければならない木

になっています。

家具の歴史は、

ここでも世界の歴史とつながっています。



英国人は、なぜマホガニーを選んだのか

マホガニーが優れた木だったから。

それは間違いありません。

丈夫で、

美しく、

加工しやすく、

大きな材が取れ、

新しい家具デザインにもよく合った。

しかし、それだけでは英国でマホガニーの時代が始まった理由を説明できません。

英国がジャマイカを植民地にしていたこと。

大西洋を越える巨大な交易網を持っていたこと。

政府の政策によって植民地材が英国へ入りやすくなったこと。

それを運ぶ船があり、

売る商人がいて、

加工する家具職人がいたこと。

そして、その背景には植民地で働かされた人々がいたこと。

それらがすべてつながった結果、

英国の家具工房にマホガニーが届きました。

オークからウォールナットへ。

ウォールナットからマホガニーへ。

これは、

単なる木材の流行の歴史ではありません。

英国人が使う木を追いかけると、

英国という国そのものが変わっていく姿も見えてきます。

英国の森から始まった家具の物語は、

ヨーロッパへ広がり、

ついには大西洋を越えました。

18世紀のマホガニー家具に残された赤褐色の木肌は、

当時の家具職人の技術だけではなく、

英国と世界がつながっていった時代そのものを映しているようにも思えます。

NEXT
なぜ英国人はウォールナットを選んだのか。 なぜ英国人はウォールナットを選んだのか。