英国アンティークを扱っていると、
ときどき、何に使うのかよく分からない道具に出会います。
魚を取り分けるための銀器。
葡萄を切り分けるためのハサミ。
中には、
アスパラガスをつかむためだけのトングまであります。
なぜ、そこまで専用にしたのでしょう。
そして英国の食卓には、
道具だけでなく、細かなテーブルマナーもあります。
ナイフは右手。
フォークは左手。
複数並んでいれば、基本的には外側から。
私たちは「それがマナーだから」と覚えます。
でも、
そもそも食事をするだけなのに、
なぜ、こんなにたくさんのルールがあるのでしょう。
今回は、
英国の少し奇妙な食卓道具から、
「きちんと振る舞う」という文化について辿ってみます。
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最初は、もっと単純な話だった
時計を数百年巻き戻してみます。
中世のヨーロッパでは、
現在のように一人ひとりの前に食器とカトラリーが一式並んでいたわけではありません。
大皿に盛られた料理を分け合い、
器を共有し、
食べ物によっては指を使う。
ナイフやスプーンは使われていましたが、
食事用のフォークはまだ一般的ではありませんでした。
こうした食卓では、
当然、周囲への配慮が必要になります。
大皿から料理を取るときには、
必要以上に他の食べ物へ触れない。
口に入れたものを共有の皿へ戻さない。
口いっぱいに頬張ったまま話さない。
他人が不快になるような振る舞いをしない。
テーブルマナーの根っこにあったのは、
それほど難しい話ではありません。
みんなで食べるのだから、周りの人が嫌がることはやめよう。
今にもそのまま通じる考え方です。
そして大切なのは、
昔の人にマナーがなかったわけではないということ。
指を使うにも作法があり、
ナプキンにも使い方がありました。
昔には昔の、
「きちんとした食べ方」があったのです。

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「礼儀正しい人」とは、どんな人なのか
やがて、
礼儀にはもう少し大きな意味が加わっていきます。
宮廷社会では、
大勢の人間が同じ場所で暮らします。
そこで求められたのは、
単に人へ迷惑をかけないことだけではありませんでした。
どう座るのか。
どう食べるのか。
どう話すのか。
どう人に接するのか。
そして、
感情や欲望をどう扱うのか。
16世紀には、エラスムスが若者に向けた礼儀作法書の中で、
食卓での振る舞いだけでなく、
鼻のかみ方や唾の扱いまで細かく説明しています。
現代から見ると、
「そこまで教えないといけないのか」
と思うような内容もあります。
しかし、
その背景にある考え方は興味深いものです。
目の前に食べ物があるからといって、
がっつかない。
腹が立ったからといって、
怒鳴らない。
自分が欲しいからといって、
好き勝手に振る舞わない。
自分の欲望や感情をコントロールできること。
それ自体が、
洗練された人間の振る舞いとして考えられるようになっていきました。
食卓は、
それがとてもよく見える場所だったのでしょう。

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食欲を、そのまま見せない
考えてみれば、
食事は少し特殊な行為です。
空腹なら、
早く食べたい。
好きな料理なら、
たくさん取りたい。
目の前にあるなら、
手を伸ばしたい。
かなり本能に近い行為です。
だからこそ、
そこにその人の振る舞いが現れます。
自分だけ先に食べない。
他人の分まで取らない。
口いっぱいに頬張らない。
料理を独占しない。
周囲の人に気を配る。
食欲という本能を、そのまま外へ出さない。
そこに、
「きちんとした人」の姿が重ねられていきます。
そしてこれは、
食卓だけの話でもありませんでした。
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英国紳士は、なぜ感情を見せないのか
「英国紳士」と聞いて、
どんな人物を想像するでしょう。
大声で感情をぶつけ、
思ったことを何でもそのまま口にする人物を思い浮かべる人は、
あまりいないと思います。
むしろ、
礼儀正しく、
感情をあまり表に出さず、
少し遠回しで、
ときどき何を考えているのか分からない。
そして、
皮肉を言う。
もちろん、
英国人全員がそうだという話ではありません。
しかし英国文化では、
感情を直接的に表現しすぎないことや、
understatement――あえて控えめに表現することが、
一つの特徴としてよく語られます。
ひどい状況でも、
「最悪だ」
ではなく、
「少し理想的ではないね」。
明らかに失敗していても、
「実にうまくいったね」。
言いたいことを、
そのまま投げつけない。
少し包んで相手へ渡す。
考えてみれば、
これも食卓で求められた振る舞いと、
どこか似ています。
食べたいからといって、飛びつかない。
怒っているからといって、怒鳴らない。
相手を批判したいからといって、そのままぶつけない。
感情や欲望と、その表現の間に一枚置く。
こうした振る舞いが、
英国で長く「洗練」と結びついてきたことは、
食卓文化を考える上でも無関係ではありません。

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そして、礼儀は「育ち」を見せる
18世紀から19世紀。
英国では産業革命によって社会が大きく変わります。
商業や産業で成功し、
大きな富を手にする人々が増えていきました。
立派な家を買うことができる。
美しい家具も買える。
高価な銀器も買える。
もちろん、
銀のアスパラガストングだって買えます。
しかし、
お金だけでは簡単に手に入らないものがありました。
「育ち」です。
どう話すのか。
どう振る舞うのか。
どのような服を着るのか。
食卓でどの道具を使うのか。
こうしたものは、
値札を見て買えば終わりというわけにはいきません。
だからこそ、
礼儀や作法を身につけることには意味がありました。
19世紀には礼儀作法書も広く読まれるようになります。
経済的に成功した中産階級にとって、
正しい振る舞いを知ることは、
respectable――
きちんとした、立派な人物であることを示す方法の一つでもありました。

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そこで、食卓の様子がおかしくなってくる
食卓が豊かになり、
銀器や陶磁器が増え、
作法が洗練されていく。
すると、
道具もどんどん専門化していきました。
魚を取り分けるための、
フィッシュスライス。
柔らかい魚を崩さず持ち上げるための道具です。
プディングを取り分ける、
プディング・トロウェル。
葡萄の房を食卓で切り分ける、
グレープシザーズ。
そして、
アスパラガストング。
アスパラガスをつかむためだけの道具です。
現代の私たちなら、
葡萄は手で小房に分ければいい。
アスパラガスも、
食べやすい長さに切ってから出せばいい。
おそらく、そう考えます。
ところが当時のフォーマルな食卓では、
食べ物を簡単にするのではなく、それを美しく扱うための道具を増やしました。
葡萄のためにハサミを用意し、
アスパラガスのためにトングを用意する。
しかも、
それを銀で作る。
ずいぶん手間のかかる食卓です。

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持っているだけでは、足りない
美しい銀器を持っている。
それは、
豊かな食卓を作ることができるということです。
でも、
それだけではありません。
フィッシュスライスを、
自然に使える。
葡萄が出てきたら、
グレープシザーズを使える。
そしてアスパラガスが出てきても、
目の前の謎の銀器を見て固まらない。
何でもない顔で、アスパラガストングを使える。
道具を持っていることと、
その使い方を知っていることは違います。
フォーマルな食卓では、
何本ものナイフやフォークが並びます。
料理によって、
使うものも違う。
順番もある。
食卓はずいぶん豊かになりました。
同時に、
何も知らずに座るには、少し勇気のいる場所にもなりました。
でも、
そこにいる人たちにとっては、
それが当たり前です。
正しい道具を選ぶことも、
自然に振る舞うことも、
わざわざ説明するほどのことではない。
その「当たり前」の違いが、
食卓ではとてもよく見えたのでしょう。

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「きちんとしている」とは何なのか
こうして見ていくと、
テーブルマナーは少し不思議な存在です。
最初は、
同じ食卓を囲む人を不快にさせないためのルールだった。
そこへ、
自分をコントロールすること。
洗練された振る舞い。
教養。
その社会で共有される作法。
いろいろな意味が重なっていきました。
もちろん、
これは英国だけで起きたことではありません。
ヨーロッパの宮廷社会では、
礼儀や作法は広く発達していきます。
ただ、
階級社会が長く残り、
「gentleman」という人物像を育ててきた英国では、
こうした振る舞いが文化の中で特に強い存在感を持つことになりました。
礼儀正しい。
感情をむき出しにしない。
相手に配慮する。
その場にふさわしく振る舞う。
そして、
言いたいことを少し遠回しに伝える。
英国人にまつわるさまざまなイメージは、
まったく別々に生まれたものではないのかもしれません。
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アンティークに残った「当たり前」
そして今、
私たちはアンティークショップで、
昔の食卓道具を手に取ります。
奇妙な形のスプーン。
用途の分からないフォーク。
何かをつかむための銀のトング。
百数十年前なら、
見ただけで用途が分かる人がいました。
どう使うのかも知っていました。
そしておそらく、
それを使うことを特別だとも思っていませんでした。
当たり前だったからです。
暮らしが変われば、
マナーも変わります。
マナーが変われば、
必要な道具も変わります。
そして、
道具だけが残る。
だからアンティークには、
昔の物だけではなく、
昔の人たちの「当たり前」まで残っています。
アスパラガスをつかむためだけに、
銀のトングを用意する。
今の私たちから見れば、
少しやりすぎに見えます。
でも、
その道具が必要だと思われた社会まで見ていくと、
単なる奇妙な銀器ではなくなってきます。
「これは何に使うんだろう」
そんな小さな疑問から、
当時の食卓や、
そこに座っていた人たちの価値観まで見えてくる。
それもまた、
アンティークを見る面白さの一つなのだと思います。
